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ごぞんじ Google には、驚異のイメージ検索があります。地理や歴史(に限らないが)を学ぶにあたって、往時とは量、質ともに比べものにならない図像がいくらでも入手できるではないか! なお、著作権不明の図像極めて多数ゆえ、ブロークン URL のみ表示しております。すべてを表示するには、以下にアクセス! ttp://www.ayutaya.com/home/knaka/shakaika2004.php?hidden=false 言うまでもありませんが、上記アドレスでは直リンクしないでください、ヤバイので(ていうか、リファラがあるとペケなのでリンクできません。なんちゃらスクリプトとか使えばできるかも知れませんが)。 以下、時系列には沿っていません、興味のおもむくままに、下ほど古いコンテンツ。 オリエント急行(Sat Jun 26 2004)
(Fri Jun 25 2004)以下、小から大へ。 プロテスタントがヨーロッパの「奥地」に生じたことに理由はあるのか。 正教(オーソドックス、正統派)とカトリックを分けた、民族的、地政学的必然性はあるのか。 一神教に執着し、三位一体論を必要としたのは、誰の、どういう志向だったのか。あと、神人両性論の本質とは何なのか。 ユダヤ教、イスラム教、キリスト教「異端」諸派の、歴史的に見られた連合のニカワと、その崩壊。 えー、さらにその外へと……。 # 325 年、第一回ニケーア公会議 # 431 年、エフェソス公会議 # 451 年、カルケドン公会議。オリエンタル・オーソドックス(古東方正教会)――コプト正教会・シリア正教会・アルメニア使徒教会・エチオピア・インド # ttp://www.kaho.biz/mec.html 満州事変(Sun Jun 13 2004)1931 年、軍事上圧倒的優位に立つ関東軍が、満州全土占領のために、中国人による満鉄爆破という口実を捏造して仕掛けた侵略戦争。実感が伴わなければ、直近の「軍事上圧倒的優位に立つアメリカ軍が、イラク全土占領のために、大量破壊兵器保持という口実を捏造して仕掛けた侵略戦争」たるイラク戦争を想起すればよい。善悪の彼岸に、「勝てば官軍」という真理がある。なんつってな。 # とはいえ、もちーとうまくやらないと、国益にも反するよ > アメリカ (Sun Jun 13 2004)CS では D-Day 関連の番組多数。
「紅の豚」と「サウンド・オブ・ミュージック」(Sun Jun 06 2004)をきっかけに、オーストリア海軍について調べてみようかな。今じゃ内陸の民族国家で、観光と音楽産業(?)で食っているような国ですが、WWI 以前の帝国は海外にも利権を持ち、当然海軍を持っている。帝国というのは、調子に乗れば拡大も速いですが、没落も速いんですね。 # オーストリア・ハンガリー帝国海軍航空隊 vs イタリア海軍航空隊。イストリア半島。ドブロブニク。ジーナさん、たしかクロアチア人という設定 追記(Sat Jun 26 2004): 「紅の豚」に登場したのは、「ドブロブニク市」をモデルにした「ドブロク市」だった(笑)
ゲオルク・フォン・トラップ艦長、オーストリア帝国海軍大佐。U ボートのトップエース(!)として名を馳せる。経緯はよーわからんが、戦間期は海運業を興し、財をなしたらしい。妻アガーテと死別、そこから後妻マリアの自伝につながる、はずなんですが、史実としては、彼は反ドイツではあったものの、オーストリア・ファシズム政党の支持者であり、愛国者ではあったかも知れないが、反ファシズムであったわけではない(戦術で勝って戦争に負けた人ですから、そのへんの鬱屈もあったのか)。例のハリウッド映画にある、ドイツのオーストリア侵攻にともなう、音楽会からのアルプス越えのくだりも創作だというので、要注意。地図見ればすぐ分かるけど、ザルツブルグからどう山を越えても、徒歩ではドイツ以外には入れるわけがない。アニメ版では、汽車でインスブルクまで行き、チロルの奥地から車でアルプスを越えてイタリア(ドイツのオーストリア侵攻は 1938 年、三国同盟は 1940 年なので)入りし、スイスを経由して、アメリカに渡る。原作でもこのとおりなのかな?
追記(Thu Jun 10 2004): 開戦時にオーストリアが保有していた潜水艦は 7 隻で、トラップはその艦長の一人。その後拡充。1914〜15 U5 艦長、それ以降 U14 艦長。 日本史復習がてら(Sun Jun 06 2004)昔書いた系図をひっぱり出してくる。 まずひとしきり、魏晋南北朝時代(およそ 220〜589)にあった中国が、当時の日本の状況をほとんど残してくれていないことの不幸に思いをはせる。殊に紀元四世紀は、俗に「空白の四世紀」とも呼ばれ、魏志に記録された邪馬台国はじめ諸国乱立の三世紀と、大和朝廷の記録が現れる五世紀との間にはさまれた、記録のとぼしい世紀である。とはいえ、中国の動乱こそが、日本の諸勢力の再編を促した可能性もあるわけで、単なる不運ではないのかも知れない。 欽明天皇以降。 29 30 欽明─┬─敏達─竹田皇子(母は推古) │31 ├─用明──────┬─聖徳太子─山背大兄王 │33 │ ├─推古─竹田皇子 └─来目皇子 │ ├─穴穂部皇子 │32 └─崇峻 奈良時代の天皇家系図。 38 43 天智─┬─────元明(安陪皇女) (中大兄)│39 ┃ ├─弘文 ┃ 44 │ (大友)┠─┬─元正(氷高皇女、処女帝) │41 ┃ │42 ├─持統 ┃ └─文武(軽皇子) │ ┃ ┃ ┃ │ ┠─草壁皇子 ┃45 │40┃ ┠─聖武(首皇子)───井上 │ 天武(大海) ┃ ┃ 内親王 │ ┃ ┃ ┃46 48 ┃ │ ┃ 藤原─┬─藤原宮子 ┠─孝謙・称徳 ┃ │ ┃不比等 │ ┃ │ ┃ │ ┃ └───藤原光明子 ↓ ┃ │ ┠───┬─大津皇子 道鏡 ┃ │ ┃ ├─高市皇子──長屋王 ┃ ├─大田皇女 │ 47 ┃ │ ├─舎人皇子──淳仁(大炊) ┃ │ ├─弓削皇子 ┃ │ └─忍壁皇子 ┏━━━━━━━┛ │ ┃ └─志貴(施基)皇子 ┠─他戸皇子 ┃ 49┃ ┠───────────光仁(白壁皇子) ┃ ┃ 紀諸人──橡姫 ┃50 ┠─桓武(山部皇子) ┃ 高野新笠 桓武天皇以降、清和・陽成天皇あたりで勢力を失うまでの天皇家系図 藤原冬嗣─┬─長良─────┬─基経 │ │ ├────順子 │ │ ┃ └───高子 藤原種継──薬子 │ ┃ ┃ ↑ └─良房 ┃ ┃ 57 50 51│ ┠─────明子 ┠─陽成 桓武─┬─平城 ┃ ┃ ┃ 56┃ │52 ┃ ┃ 55┠──清和(惟仁親王) ├─嵯峨────潔姫 ┠──文徳 │ ┃ 54┃ ┃ │ ┠──┬───仁明 ┠─惟喬親王 │ ┃ │ ┃ ↑ │ 橘嘉智子└─正子内親王 ┃ 東宮、僧正遍昭 │ (檀林皇后)┃ ┃ │ ┠─恒貞親王 ┃ │53 ┃ ┃ └─淳和(大伴親王) ┌─紀静子 │ ┌─紀名虎─┼─紀有常───娘 │ │ ↑ │ └─喜撰法師? 在原業平 │ └─紀興道──○──○──紀貫之 院政期の天皇家系図。 71 72 73 74 後三条──白河──堀河──鳥羽─┐ │ ┌────────────────┘ │ 75 └┬─崇徳(白河・侍賢門院の子) │77 ├─後白河(鳥羽・侍賢門院の子)─┐ │76 │ └─近衛(鳥羽・美福門院の子) │ │ ┌─────────────────┘ │ 78 79 └┬─二条──六条 │ ├─以仁王 │80 81 └─高倉─┬─安徳 │82 83 └─後鳥羽────┬─土御門 (讃岐、顕徳)│84 └─順徳 渋谷クロスタワーの北欧風レストラン「オスロ」今日閉店(Fri May 28 2004)残念。さすがに創業 1975 年の店内はいささか古くさいものの、何しろランチは、これが本当の「バイキング形式」でしたからね。景観は捨て難いので、次のテナントに期待です。 それはともかくとして、気になっていたこと。当初ノーベル賞は、物理学賞、化学賞、生理学・医学賞、文学賞、平和賞の五部門(後に経済学賞を追加)。授賞式は、ノーベルの命日にあたる 12 月 10 日にスウェーデンの首都ストックホルムで行われるが、平和賞だけは、ノルウェーの首都オスロで授賞される。 とまあ、「オスロ」で話がつながったわけですが、平和賞だけはオスロで授賞――なんで? 多くのページに「当時、スウェーデンとノルウェーは連合王国をなしていたから」とあるけれど、ぜんぜん答えになってませんがな。さらに調べていて、とても参考になったページ ( ttp://www.burmainfo.org/assk/schu-kohyou_200112.html )(本件とは関係ないけれど、オスロ合意にいたる経緯に、ちょっと感動)。 要約すると、地政学的に、スウェーデンをとりまく国際環境は難しい。当時はロシアの属領であったフィンランドと国境を接し、バルト海をはさんで、大国ドイツ・デンマークを筆頭とする国々に囲まれるかたちになっていて、国際間で当事者になりがちなので、平和賞を授賞する側としてはふさわしくない。それにくらべるとノルウェーは、当時連合王国を形成していたスウェーデンよりは、他国の干渉からは背後で守られるかたちになるため、第三者的立場から選定ができる、と、少なくともノルウェー大使館の一等書記官の見解としてはそういうことらしい。 20 世紀初頭の、微妙な国際的配慮の結果だったのですね。北欧史的に見ても、どちらかというと強国スウェーデン・デンマークに翻弄「される」側であったことが、虐げられる者に対する共感を要するであろう平和賞受賞者の選定には役に立つのかな、とも思ってみたり。 もっともバイキング時代には、いっしょくたに虐げる側だったようですが。
ルーネル・ヨンソン(Runer Jonsson, 1916〜): スウェーデンの作家、"Vickie Viking" シリーズの著者。 # 北ゲルマン、ノルマン人、 # スウェーデン領であったフィンランドがロシア領になったのが、1809 年。ナポレオンのロシアへの大遠征が 1812 年。当時の首都は、ペテログラード(後にレニングラード、現在のサンクト・ペテルブルグ)。フィンランドが戦ったのは、ロシア帝国からではなく、ソ連からの独立戦争だった # 情報の多くがフィン語かロシア語なのがつらい
フェノスカンディア(あるいはフェンノスカンディア、Fennoscandia)は、アジア大陸から生えた半島(というにはデカいが)地帯全体を指し、その先、ボスニア湾以西をスカンディナビア半島と呼ぶ。
兵器詳しくないんで、そちらも調べてみる。
これをフィンランド「独立」戦争と呼称するから(少なくとも私は)混乱するのではないか。「独立 or 従属」と「自由主義 or 共産主義」は、直行する指向であり、独立後に成立する国家のヴィジョンを異にしながらも、独立気運は優勢だったし、ソヴィエトとしても、独立したきゃすれば、だったのだろう。現に承認しているし。レーニンのソヴィエト政府が期待したのは、独立→革命派・赤衛軍の優勢→共産党支配のフィンランドの成立、だった。そういう意味では内戦だし、史上初の反共戦争と言えるんでないか。勝手に名づけて「フィンランド反共の乱(役にあらず)」。とても興味深いページ ( ttp://www.minpaku.ac.jp/jcas/newsletter/essay/20030512/01.html )。 どうやら、同時期にウクライナで同じようなことが起きてたげ、あとで調べておこう。検索キーワードは「ウクライナ人民共和国」。独立の続いた期間をもとに、ロシア(+ べったりのベラルーシ)の近隣諸国の独立成功度をはかると、フィンランド > 東欧諸国 > バルト三国 > ウクライナ、みたいな。これって、EU 加盟(および希望中)の順そのまんまじゃん カトリと独立気運そうだ、フィクションとはいえ、うっかりすると当時の生き証人としては日本で最も有名なフィンランド人を忘れてた。「牧場の少女」ことカトリ・ウコンネミ嬢。ちなみに私は日本アニメーション製作作品の、それも総集編を、だいぶ以前に、時代背景なんぞ何も知らずに見ただけなので、記憶は薄いです(例によって、原作とは大幅に筋が異なるらしいし)。
当時のフィンランドは、大幅な自治権が認められていたとはいえ、事実上はロシア帝国の一行政区、通貨もルーブル。貧しい農家のカトリの母が、夫をなくし、娘と義理の両親を養うため、奉公先の主人にくっついてドイツへ出稼ぎに出たのが 1912 年。1914 年には、WW1 開戦によって敵国となってしまい、音信も不通となり、仕送りもとだえる。かくしてカトリの奉公人生活が始まる、という流れ(某サイトで、もしこれがマルコだったら、母をたずねて戦乱のドイツまで乗り込んで行って、それはそれで面白い話になっただろうにとありました。見たいね、それ)。 クーセラのご主人はドイツへ出征して戦死していたが、今思うとあれは、ロシア軍人として、当時の「ドイツ」(併呑された中・東欧各国を含む)とロシアとの前線で戦ってたのね。とはいえ、フィンランド国内には、独立を志向する親ドイツ派も多いので、ひとすじ縄では行きませんね。 作品中 1917 年にカトリは、独立運動家と行動をともにする、フィンランドへ亡命中のレーニンを目撃しているんですね。十月革命に続く独立承認後、ロシア本土へ帰国する大勢のロシア兵の描写もあります(多数は残って赤衛軍となるのですが)。その後に続くフィンランドの独立戦争を、レーニンは本国にあって、どう見ていたのかが気になります。母はというと、1918 年、ブレスト・リトフスク条約の締結によってロシアの対独講和がなり、革命派との内戦が終結したところで、ようやくスウェーデン経由で帰国するも、病に倒れてトゥルクで臥せていたところを、カトリと 6 年ぶりの再会を果たす。 著者のヌオリワーラが、自伝的小説「牧場の少女」を発表したのが 1936 年、フィンランドが凄惨な冬戦争・継続戦争に突入する少し前ですか。1972 年、死去。 # カレヴァラをカトリに教えるアッキさんとか、女性の自立気運と国家の独立の呼応とか、空気ですなあ らしくない性名の、あのお方彼の業績なくしては、私の今の生業はないようなものであります。
追記(Tue Jun 01 2004): 先日 307CC の初優勝が幻に終ったマーカス・グロンホルム(Marcus Groönholm)も、スウーデン系らしい 汎*主義(Mon May 17 2004)Google さんに「汎*主義」を集めてもらってみる。後ろのほうになると、聞いたこともない。 汎スラヴ主義、汎ゲルマン主義、汎アラブ主義、汎アジア主義、汎モンゴル主義、汎イスラム主義、汎ヨーロッパ主義、汎アフリカ主義、汎アメリカ主義(パンナム?)、汎トルコ主義(汎テュルク主義)、汎クルド主義、汎アーリア主義、汎バルカン主義、汎大西洋主義、汎ルーマニア主義、汎カタルーニャ主義、汎地中海主義、……。 境をまたいで住まいながらも共通する属性を持つ者たちよ今こそ鳩合せよ、という方便。敵対勢力を分裂させつつ総力戦体制を敷くのに便利なので、二十世紀に多用されたが、敵も考えることは同じなので、各地に害禍を残した。こんな説明であってます? # 坪内逍遥、二葉亭四迷、森鴎外。ロシア語翻訳と言文一致体。新興帝国主義国家が二つ…… # 青踏社? 「青踏」は「青き踏む」で、春の季語。「踏青」とも。春の野の新緑を歩くことを言い、元来は中国語らしい(五行説では青は春ですし)。女性にとっての冬の時代は終ったのだー、という意気込みかと EU 加盟次々候補(Son May 16 2004)とりあえず次候補はルーマニア、ブルガリア、トルコらしいので、その次くらい。 なんとなく評判の、「物語 ウクライナの歴史」を読み始める。興味の方向性としては、スキタイの故地であることと、キエフ公国として、「ロシア」以前のロシアであったらしいこと、また、マインドとして、ロシアよりも EU へと傾く民族意識があるらしいこと。
# こんなん出てきちゃうんですから、Google さまさまです。この分では、全世界的に、ある種の書籍の売上は落ちる(落ちた?)だろうなあ、資料的意味あいで所有すべき書籍が激減するもの 黒海北岸からスキタイを駆逐したサルマタイ人の末裔が、例のオセット人であるという説あり。ヘロドトスのような語り部を持たなかったが故にその習俗はあまり伝わっていないが、サルマタイ人もスキタイに似た特徴を持っていたという。めぐりめぐって、コーカサスの騎馬部族にも、スキタイの文化が息づく? 一説に、古代の黒海北岸の居住者は、北から南へ三層に、支配者である騎馬遊牧民族の王族スキタイ、農耕民族である農耕スキタイ、ギリシア人を含む、沿岸で交易を営んでいた人々、に分かれるという。また一説に、これらの内、農耕スキタイこそが、後のスラヴ民族の祖であるという。 ずっと気になっていた、キエフ「公」国の謎。「クニャージ」は、往時の意味あいとしてはまさに「王」であり、語源的にも、英語の「キング」、ドイツ語の「ケーニヒ」と同根であったが、後代、その子孫たちまでもがその称号を名のるようになったことでインフレが起こり、実態として「公」を指す語になった。そのあおりを食って、「キエフ王国」は「キエフ公国」となったのである。現代でも、民族主義的文脈ではキエフ「王」国と呼ばれたりする。 # それでも、ジオン「公」国の謎は残る 車の側から見た「軛(くびき)」は、あてがわれる方からすれば「頸木」であって、その形状から「衡」とも書く。英語でいうと "yoke" であり、荷運び用の天秤や、罪人・奴隷の拘束具、フロントフォークの、ヘッドチューブに通す部分、その他もろもろの意味を持つ。言語・文化によらず比喩的な用法をされる語なので、ノイズが多く、きわめて検索がしづらい。
ともあれロシアは、長らく、タタールのこれにつながれたのだ(少なくとも当人たちはそう言っている)。 連邦のニカワ(Sun May 09 2004)どうも旧ユーゴスラビアが分からないと、現代はおろか世界史も分からないように思えてきたので、ちーと腰をすえて調べてみる。 チトーと共産主義を失うと、解体すべくして解体する。
# 「ガンスリンガー・ガール」にちらちら出てくる、イタリア国内のアルバニア人。ヨーロッパに入るヘロインの大半は、トルコで精製され、アルバニア人マフィアの手でバルカン経由で。
ここで "Muslims" というのは、ムスリム人(ムスリマン)。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の当事者の一で、その名の通りムスリムではあるが、あくまでも、人種的にセルボ・クロアチア語族に属するムスリムのみを指す。よって、コソボ紛争におけるアルバニア系住民もムスリムではあるが、ムスリム人とは呼ばれない。「民族」ってのは、当事者が民族だと思えば民族だ、と。 クロアチア内のセルビア人居住地が、クロアチアに武力で併合されたクライナ。
河出書房の「バルカンの歴史」の書き出しは、地政学的観点から。まず、イタリア半島にとってのアルプス山脈や、イベリア半島にとってのピレネー山脈のようには、バルカン半島を守る山脈を持たないこと。また、ことに西部に関して、山脈が南北に走るため、東西の交流が遮られること。つまり、南北の出入りが容易なのに対して、東西方向では相互の交流が遮られて、分化が進みやすい地形なのだ、と。
# EU 加盟各国や、近く加盟予定の国々は、おおむね民族国家を形成できている。セルビア南部(コソボ)、マケドニア北西部に住まうアルバニア人。 追記(Sat May 22 2004): アニメネタが続いて恐縮だが、「マスターキートン」chapter 26「家族」を見ていたら、かつて東ドイツであった領域にいるユーゴ難民が、地元のスキンヘッド集団(ネオ・ナチ?)に虐げられている描写が出てきたんですが、なぜ国境も接していないドイツにユーゴからの難民が多くいるのか、調べてみる。 シュツットガルトのメルセデス・ベンツと、ミュンヘンの BMW(バイハツ)。両地方の、歴史的変遷の差異から来る土地柄の違いが、クルマのキャラクターの違いにも現れているというハナシは、よく「自動車評論家」の方々から出てきます。 EU25(Sun May 09 2004)NHK スペシャルの「大欧州誕生」を見ました。知らんうちに、EU って大変なことになってたんですね。 # Cocoon 導入以来、ゴールデンタイムにたいてい家にいない自分でも NHK の番組よく見るように(見られるように)なりました。そうなると、こういう質の高い番組の製作のためにも、やはり公共放送は必要だと実感しますね。そんなわけで、今ではすっかり受信料払う気満々なので、早くとりに来て > NHK 追記(Sun May 09 2004): 後編も見ました。感動しました(「EU 歌」である「第九」が、ただでさえ感動的なのもありますが)。EU の構築というのは、20 世紀のソ連の建国に匹敵する、21 世紀を左右する壮大な実験なのではないでしょうか。大変なのはお察ししますが、すげー楽しそう。 May 01 に、EU 加盟国が 15 か国から 25 か国に。人口・面積ともに約 2 割増なのに、GDP は 5% 増にすぎないというから、今後が大変でしょうけれど、西ドイツの統合ですでに経験済みなので、ノウハウはあるのでしょう、たぶん。
# フランス領ギアナって初めて知りました もしもトルコやウクライナが加盟できるならば、ついでと言っては何ですが、キリスト教国のよしみでグルジア(サカルトヴェロ)とアルメニア(上の地図では自称のハヤスタンになってますわ)も入れたい感じです。黒海周辺の物流が盛んになってよかろうと思うんですが、話はないのでしょうか? # 日本も入れて(笑) これだけの版図となると、だれもが想起するであろう「ローマ帝国」を前面に出さないのは、かつてヒトラーが声高に喧伝したそれを連想されるからのようだ(ヒトラーの言う「ドイツ第三帝国」は、神聖ローマ帝国を「第一」として「第三」だから、西ローマ帝国のことだったようだが。まあ、どっちにしても妄想だ)。 # 番組中、ウクライナ西部の経済特区(EU との間で、関税なし)で、シュコダのセダンがガンガン輸入されているのが印象的でした # ヴァチカン、モナコ、サンマリノはいいとしても、ん、ピレネーの山中に、気になる未加盟エリアがもう一つ。アンドラ公国って何だ? ケーニヒスベルグってこんなところに(Sun May 09 2004)昨日、NHK スペシャルで「大欧州誕生」を見ていたら、新たに EU に加盟したバルト三国とポーランドに囲まれて、EU に加盟しないどころか、文脈上ロシアの領土のように言われている土地があって、何だそりゃと。これが、ロシアがバルト海に持つ唯一の不凍港カリーニングラード(Kaliningrad)であり、バルチック艦隊の拠点であり、かつてケーニヒスベルグ(Königsberg, Koenigsberg)と呼ばれた領域です。一応理系の自分としては、七本の橋を一筆書きで散歩する町として記憶していましたが、一般的にはカントが生まれてから死ぬまで出なかった町として有名らしく。
# そういえば、ロシアとベラルーシ(民族的にマインドが近いらしい)の通貨統合って行なわれたんですか? え、まだ? ドイツ騎士団が築城→ポーランド領→プロイセン領→ドイツ領→ソ連領。今後、うっかりするとロシアの最貧地域になりかねず、ロシアの戦略的お荷物として留まるか、EU へ統合されるか、定かでない。
# 石炭鉄鋼共同体。フランク王国、ローマ帝国 ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ(Bistecca alla Fiorentina)(Thu May 06 2004)腹減ったなー。
食材買いに行ってきますグー。 (Wed Apr 28 2004)
(Wed Apr 28 2004)
「氷河期」と呼ばれている低温期(Tue Apr 27 2004)そもそも「氷河期」とは、ヨーロッパと北米の「氷河」期。現在の沙漠の多くが、温暖で湿潤だったり、草原だったり密林だったりした。狩猟に適した(はず)。 # 最後の全球凍結(仮説かも知れんが)は、五億年以上前
有史時代とて平坦ではなく、通時的に見ても発展の機会は平等ではないということなのね。 #ミランコビッチ説 ( ttp://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3820/hanasi/milankovitch/milankovitch.html )。 コーカサス(Tue Apr 27 2004)紛争地域を調べていると、面白い。かかる言いようは全くもって不謹慎極まりないのだが、とはいえ、紛争の周辺にはとかく根深い事情や強烈な民族が多く、興味深い。そんな民族の一つ、チェチェン人 → 「真の囚人: 負けないチェチェン人 ( ttp://tanakanews.com/a0113chechen.htm )」。かくも苛烈な民族のありよう、ちょっと感動しただよ。オイラもがんばらなきゃ(?)。 追記(Sun May 09 2004): チェチェンの、ロシア寄り政策をとっていた大統領が爆殺されました。先日 Discoverty Channel でモスクワ劇場占拠事件のドキュメンタリーを見ましたが、いやー、ロシア国内では人質にはなりたくないですね(どこでもイヤだが)。特殊部隊の突入っぷりは、「え? 人質いたの?」てな感じで、はなはだうすら寒い。
# 三帝国(ロシア、トルコ、イラン)の衝突点であるコーカサス地方。そのどまんなかにサカルトヴェロとアルメニアもあるんだから大変なところだ # 南麓には、コーカサス系グルジア正教徒の国グルジア、インド・ヨーロッパ系アルメニア使徒教会信徒の国アルメニア、トルコ系シーア派ムスリムの国アゼルバイジャンがならび、その南にはトルコとイラン…… # スーフィズム # ソ連崩壊後、かつての強制移住者の後に入ったロシア人が、それらの土地(紛争の続くチェチェン、アゼルバイジャンなどのカフカス地方や、独立してしまい住みづらくなった中央アジア各国など)から逃げてきて、モスクワ周辺で難民化しているそうな ロンドンまでツーリング(Mon Apr 26 2004)東アジアからユーラシア大陸を経てトルコに至る国際道路網「アジアハイウエー」計画について、日本など関係23カ国は26日、中国・上海市で開かれている国連のアジア太平洋経済社会委員会(ESCAP、本部・バンコク)総会の閣僚級会合で政府間協定に調印した。 だそうです。既存路線を活用しつつ、最低でも片側一車線の対面通行を東京からイスタンブールまで引き、その先は EU の道路網(ヨーロッパ・ハイウェイ)につなぐという遠大な計画。全路線の地図を検索〜、あった。
無給油で何キロ走れれば行けるんでしょう? LLDC(Sun Apr 25 2004)ネパールは LLDC の一つだそうなので、調べてみる。 LLDC(Least among Less Developed Countries: 後発開発途上国。直訳すれば、「とりわけ低開発諸国」でしょうか。「最貧国」というと、さすがに差別的匂いがする。LDC (Least Developed Countries) とも )について。国連による国家分類の一で、発展途上国の中でもとりわけ開発の遅れた国々を指し、(I) 一人あたり GDP、(II) 製造業の GDP に占める割合、(III) 識字率、を基準として認定される。決して差別的分類ではなく、これに認定されると、資金援助や借款などで優遇されるので、当事者も喜んだりする。 以下、最近の LLDC 認定国家。
ネパール(Fri Apr 23 2004)クックリ(あるいはククリ(Khukuri, Kukri)、もしくはグルカ・ナイフ(Gurkha knife))で知られるグルカ兵(あるいはゴルカ。現国王家の出身地ゴルカからで、実際に「グルカ族」がいるわけではなく、周辺 4〜5 部族から出るらしい)は、ネパール人です。
# 他意はないんだが、クリンゴンとちょとダブってきた…… 追記(Thu Apr 29 2004): ディスカバリーチャンネルで「カラーで見る大英帝国衰亡の歴史(British Empire in Colour)」見ていると、マレー半島で共産主義勢力と戦う英軍の軍用車両には、ほこらしげに十字ククリ(crossed kukri's)が。でも、乗ってるのは白人も多いようだぞ? ハッタリが効いたのだろうか # 高ヒマラヤ(Higher Himalay)、低ヒマラヤ(Lesser Himalaya)、古カトマンズ湖 カトマンズ盆地(Kathmandu basin)は、東西約 30 km、南北約 20 km。「ネワール」族の住むカトマンズを、その部族名から「ネパール」と称し、今でも周辺地域では、カトマンズを指して「ネパール」と呼ぶ。
# 登れるシェルパはもらいが多いらしい。登れぬシェルパは…… # ビレンドラ。あー、あれはネパール王家だったんですか。結局闇の中? # シッキム。 追記(Sun Apr 25 2004): ディスカバリーチャンネルで、ムスタン王国(Mustang Kingdom, ネパール領)の仏教寺院修復のドキュメンタリーを見ました(インドへの亡命チベット僧が、チベット寺院見て感激してただよ (ToT) うー)。15〜16 世紀の建立で、見事な壁画には、ネワールの芸術家が動員されたそうな。何つーか、建築技術にせよ美術の技法にせよ、革新なしに高度化してしまったような印象を受けました。例えるならば、何でしょう、最新 CPU で爆速の DOS みたいな。 追記(Sun Apr 25 2004): これまたディスカバリーチャンネルで、ネパールへの紀行モノを見ました。画面から受ける印象では、LLDC な悲哀はありませんでした。むしろ、何とも多様な国だな、と(まあ、多様でない国なんてないんだけど)。「発展」しなきゃとしているカトマンズと、欧米人だらけなヒマラヤ周辺のトレッキング、奥地では、婿五人が嫁一人に嫁い(?)だりと、わけわからん。
# インドによるカシミールの扱いや中華人民共和国にとってのチベットなどから、領土というものに関する国家の性質みたいなもんが見えそで見えない今日このごろ # それと、インドには、周辺の大国との間に緩衝地帯とでも言うべき小国が多いんですね、これはきっと、英国の植民地時代を抜きには語れないんだろうと今のところ勝手に思っている自分 # 在ネパールのブータン難民。ブータン国内の、北部チベット系民族による、南部ネパール系民族に対する民族浄化運動で行き場を失った人々が、ネパールやインドへ流入。はぁ… カシミール(Tue Apr 20 2004)インドで総選挙。各地で、カシミール分離独立を唱えるイスラム教過激派が暴れています。13 人死亡。
現在のことがらは、ネットで調べやすい。こことか参照。対立じたいは長く続いていたものの、現況の直接原因は、パキスタンが分離するときに、カシミールの王様が、国民の大多数がムスリムであったにもかかわらず、インドへの帰属を選んだことらしい。
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現代的土壌分類(Sun Apr 18 2004)
土壌分類学(Soil Taxonomy): 20 世紀後半にまとめられた、計測可能な数値に基づいた科学的な土壌分類。 以下が、11 の目(order。Gelisol を抜いて)。その下に 53 の亜目(suborder)、258 の大群(gread group)、1000 前後の亜群(sub group)、4500 ほどのファミリー(family)、10500 にものぼる土壌統(soil series)に分類されている。よくやるねえ。
*印は日本には存在しないとされている目 うーん、まさにデータマップ。東南アジアから広東・江南、西日本までの森林型酸性土壌(Ultisol)は水稲に適していそう(イネは、水溶した酸化鉄を含む弱酸性土壌でないといかんらしい。大麦の対アルカリ因子を組み込んだ遺伝子組み替え稲ができてニュースになってた)。黒海北岸から大ざっぱに渤海へ抜けるあたりまでの帯状の草原土壌(Mollisol)とその南に広がる乾燥地帯(Aridisol)は、騎馬遊牧民の機動力をもってすれば帝国(元とかトルコとか)の根拠になりそう。中原の豊かな土壌(Inceptisol)は、黄河のたまもの? 農業(カロリー)生産力で言えば江南の方が上のようですが。東欧からロシアの中心部にかけての、アルカリ性森林土壌(Alfisol)って何だ? 大麦なら育つかな。
追記(Sat May 08 2004): EU かー
「トルコ」と「テュルク」と「突厥」と発音と歴史分類では別モノですが、もとは一つです。西トルキスタンまわりに住んでいた遊牧民族で、唐代の中国とドンパチやってた(突厥)。のちに(混血をくりかえしながらも)大帝国を建てるに至る。 # ちなみに「アタテュルク」は「父なるテュルク人」 ペルシアとイラン、ゾロアスター教とシーア派共に、大きく心証を異にする前者と後者。私も立派に国際感覚の乏しい日本人なわけですが、イランはその歴史や文化の厚み強さにおいて、アラブやトルコなどとはくらべものにならんのんです。
北アジアの遊牧民(Mon Apr 12 2004)
すごくおおざっぱに言えば、古代以来の農耕の適地は、黒海北岸〜カスピ海〜アラル海(西トルキスタン)、西域(東トルキスタン)、ゴビ砂漠あたりを結んだ地帯(内陸性気候地帯)よりも南であって、それ以北には、広大かつ東西に長大な、遊牧の適地が広がっていた。四大文明もそれに続く歴史も、多くは「南」の歴史であって、農耕民族の観点で言う「国」をなさない北方遊牧民族の勢力圏は、歴史年表的には大概「まっしろ」、あるいは「ボヤ〜」なのだ。 # 「東西」でいうと、カスピ海〜ウラル山脈を結んだボルガ川以西が、広義のヨーロッパだそうな。以東がアジア 遊牧民の文明に「騎乗」が加わって(騎馬遊牧民)、そのシステムがおおむね完成したのが紀元前 10C ころ、おそらくは黒海北岸のスキタイ人(騎乗そのものの発明は、BC 2M ころの中東らしい)。 参考 ( ttp://www.tabiken.com/history/doc/S/S257C100.HTM )。遊牧民族の富の集中、統一、国家の形成を成さしめたのは、ほかならぬ農耕国家だったというのは面白いです。現代の列強と中東みたいですね、自分で敵をつくって戦かってるの。皮肉だ。 パンゲアから現代まで、プレートテクトニクス ( ttp://www.scotese.com/earth.htm )。 地図年表 ( ttp://www.ne.jp/asahi/chronicles/map/index.htm ) 社会の成長の一典型として、生産性の向上にともない、村落→都市国家→王国→帝国、と。その成長の本質って何なのかしらん? そもそも連続性があるのか。 漢の武帝(Mon Apr 05 2004)どうやらこやつが中国四千年の歴史における最大のターニングポイントかと思われる。
前漢第七代皇帝、武帝、劉徹(在位 前 141〜前 87)。郷挙里選による官僚制度、儒教の国教化、鉄(ならびに塩・酒)の専売。北方においては匈奴征討に成功。西方にあっては大月氏と組んで匈奴を挟撃(シルクロード交易が栄える)。南越遠征で九郡設置。衛氏朝鮮を滅ぼし四郡を設置。横にはもちろん、縦にも(大なり小なり現代にいたるまで)すごい規模で連続性が見出だせる。この時点をもって中国史が世界史に組み入れられたと見てもよいでしょう。まさに後期中国をつくった男! すごい! 迷惑も多いけど。 この時点での体制をベンチマークとすれば、あとの王朝(ていうか帝国)は、そこからどの点がどちらへどの程度寄っているか、という視点でとらえられるんでないかな? # ようやくこれをひっくり返せたのは、時代をかなり下って毛沢東。それでも残滓は多々残るが 漢以降の王朝ってキャラ薄くない?(Sun Apr 04 2004)なぜならば、漢以降官学となった儒教は、変化・進歩を否定する思想・規範だから。 封建の世を吹っとばして皇帝専制公民法家主義を敷いた秦が、前衛的すぎて皆付いてこられずにぶっ倒れたのが前三世紀(まあそれだけでもないんだけど、四捨五入して言っちゃえば)。 前漢第七代皇帝である武帝時代に儒教が国教化。封建体制から徹底法家体制に振れた後、中庸をとり、ひたすら維持に入る。 このへんで鉄についても考えないと本質は見えないんだろうな。 南北朝時代には、社会不安も手伝って一旦儒教は廃れ、仏教が興隆。 隋のころに官吏任用に科挙が導入され、再び国教化。六世紀ころ。これを以って中国的停滞に突入すると見てよろしいか?
Earth View ( ttp://www.fourmilab.ch/earthview/ )
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